鍵玄プロジェクトとはABOUT
KAGIGEN PROJECT
鍵玄プロジェクトとは日本の『絆』や『誇り』を持つ、崇高な「日本人の心」の伝承の為四季折々の自然に恵まれた京都で育まれた豊かな心と美しい感性と「革新な技と丁寧な手しごとを極める努力」そして「現代人にとっての豊かなライフスタイルとは何か」を探求すること、各々の工程の匠達が自らの仕事を見つめ直し共有する事から始まりました。
便利さや効率を追い求める事で多くの歪みを生んだ現代社会において
心豊かで素晴らしい日本の未来を創造していく為には、このかけがえのない今を築いてくれた
過去の出来事や先人の存在が大きなヒントと考えます。
時には時代を超えて受け継がれてきた温かみある自然素材の手作りのモノや文化が私たちの
暮らしに潤いを与えてくれています。
しかし、大勢の高い技術の職人の手を経て初めて完成するキモノの黒紋付など伝統染織品の保存、継承は簡単なことではありません。
中でも私達はモノづくりを通じて、モノではない日本の大切な通過儀礼や伝統文化を支え黒紋付を装うことの意味や大切さを伝え、
人が人を思いやることを大事にする『日本人の心』を育み、『絆』や『誇り』継承していくことで【アイデンティティ】
日本という国の未来に貢献することが私たちの使命ではないかと考えます。
鍵玄のこだわりKAGIGEN
COMMITMENT
千二百年の都、京都には山紫水明といわれる自然の移ろいに根ざす
染めに欠かすことのできない豊かな伏流水が、伝統ある黒染めを生み出します。
水、草木、鉱物、生糸・・自然の力は染めの力。
先人の知恵は創作の力。
単なる色ではなく温かみや艶やかさという色ひとつの表情まで
『鍵玄の流儀』に則ったものでなければならない、
は、そこから生まれる黒紋付をはじめ、
ファッションや素材としての黒染めを、
未来に向けて提案しています。
生地は繭選びから各工程に抜かりはなく、染は黒に始まり、黒に終わる・・・
単なる色ではなく温かみや艶やかさという色ひとつの表情にまで全て
『鍵玄の流儀』に則ったものでなければならない。
そして時代や使い手への対応は易しく柔軟でなければならない。
すべては使い手の安心の為に・・
それが、鍵玄-kagigen-のこだわりです。
黒紋付についてABOUT BLACK MONTSUKI
大切な想いを伝える、日本の礼装
黒紋付とは黒地に五つの紋を付けた衣服のことで、正礼装(第一礼装)の着物として最も格式の高いものとされ、結婚式や入卒式などハレの日に着る縁起ものです。
最近では『黒紋付=喪服』と思われがちですが、本来「喪服」という着物は存在せず、仏事での着方を意味します。
黒紋付は礼節を表す正礼装であることから葬儀で着用されることが多くなったのです。
つまり黒紋付は祝儀・不祝儀に関わらず大切なセレモニーに参列する際、自分の気持ちを伝える象徴といえるでしょう。
しかし、実際には“どんな時に・どんな場所”で黒紋付を着ればいいのかは、なかなか分かりにくいもの。
例えば仏事だけをみても、お通夜、告別式、四十九日の法要、一周忌などさまざまです。
また、購入するのに最適な機会や、どれくらいのお値段のものが良いのかといったことも知りたいところ。
ここでは、そんな「黒紋付について知りたいこと」をご紹介します。
身近な弔問や法事等に
便利な色無地
現代人の弔事きもの色無地×黒共帯
着物には様々な種類があり、TPOが決まっていますが、現代人の弔事事情も刻々と変わってきており其々にふさわしい時・場所・場合に合わせないと、いくら格が高い着物を着ていてもそぐわないシーンであれば、せっかくの身だしなみも台無しです。
本来黒紋付を着る機会の多い弔事においても、『葬儀・告別式・偲ぶ会』という内容や亡くなった方との間柄によって色無地を上手に利用すれば、弔事の際関係の方々や列席の方々の気持ちに馴染む装いになるのでは無いでしょうか。此処では以前、身近な方の法事用の色無地を利用した新しい弔問する装いを御紹介致します。
礼装について
礼装のコーディネートの前にルールを確認しておかなければ、装いも愉しむ事が出来ません。
洋装
礼装とは冠婚葬祭などの儀式での装いを意味し、着用する衣服のことを礼服またはフォーマルウェアといい、威儀を正す、或いは敬意を表す意味合いを持っています。基準は見識者によって様々ですが一定の基準が有ります。
礼装には洋装・和装があり、それぞれに「正礼装(第一礼装)」「準礼装」「略礼装」があります。
まず正しいマナーを身につけることが大切。
間際になって慌てたり後から後悔しないように、事前に着物のTPOをチェック
正礼装-男性 | ◎昼間用・・・・フロックコート、モーニングコートなど ◎夜間用・・・・燕尾服、タキシードなど |
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正礼装-女性 | フルコートドレス、イブニングドレスなど |
準礼装-男性 | ◎昼間用・・・・ディレクターズスーツ (背広型の黒の上衣に、縞のコールズボンを着用) ◎夜間用・・・・ファンシータキシードスーツ (黒意外のタキシードまたは高級スーツ) |
準礼装-女性 | ロングドレス、カクテルドレスなど |
略礼装-男性 | ダークスーツ、ブラックスーツなど |
略礼装-女性 | ツーピース、ワンピースなど |
和装
しきたりは時代と共に変化していますが、現在も紋入りであることが礼装の必須条件です。五つ紋が入っているのが通常ですが、略礼装の場合は羽織の背中にひとつ紋が入っているものなども認められます。ただし、祭事や伝統関係の祝事では厳格に紋の数の指定や服装などが決められている場合もあるので注意が必要です。
正礼装-男性 | ◎黒紋付羽織袴 長着と羽織は白地の羽二重を黒に染めたものを用い、紋は日向紋に染め抜いたものが正式で、紋は五つ紋です。 |
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正礼装-男性 | ◎既婚者・・・・(黒・色)留袖 留袖は一越縮緬無垢仕立てで、衿から下の裾に絵羽模様を染め抜いたものを指します。色留袖は黒留袖とほぼ同格で、披露宴や公式行事などで着用します。 ◎未婚者・・・・振袖 振袖は一越縮緬紋綸子、緞子など地紋のある生地を用います。 |
準礼装・略礼装-男性 | ◎色紋付羽織袴 紋は三つ紋または背にひとつ入っています。 |
準礼装-女性 | ◎色無地、小紋、訪問着 色無地は柄のない黒以外の無地の着物を指し、小紋は全体的に小さな模様が入っているものをいいます。訪問着は絵羽の模様付けがあり、主に祝い事で着用します。 |
略礼装-女性 | ◎付け下げ、色無地 付け下げの特徴は絵羽模様がなく、紋を入っていないこと、八掛が共裾ではないことが挙げられます。 |
黒紋付について
格式がありながら自由でモダンな魅力を持つ黒紋付
黒紋付とは、地色が黒の一色染めで、五つ紋を染め抜いた無地の着物のことをいい、最も格の高い正礼装(第一礼装)とされます。そのため、かつては婚礼の席で媒酌人や親族が花嫁を引き立てるために黒紋付を着て、錦の帯を締めたといいますが、現在では喪服として用いられることが多くなっています。
もとは江戸時代に武家が紋付羽織袴を略礼装として用いていたのですが、次第に庶民の間で正礼装とされるようになりました。
また、江戸時代では白紋付が多く着用されていたのですが、明治時代に欧米化が進み、モーニングコートなど洋装の礼装に合わせて次第に黒が主流となっていきました。そして、大正4年の皇室令で「宮中参内の着物は黒無地紋付、帯は黒の丸帯、帯留は丸ぐけの白、帯揚げは白、足袋は白、はきものは黒草履」と指定されました。(帯留、帯揚げは戦後、黒に統一)
家紋は背中に入っているものを「背紋」、両胸に入っているものを「抱紋」、両袖にあるものを「袖紋」といい、最も格式の高い正礼装には五つ紋が入っています。江戸時代まで家紋は武家の象徴となっていましたが、明治政府が一般庶民の使用を認め、衣服令で「正式な場所で着物を着用する場合は紋付を着用すること」と定めたのです。
一般的に黒紋付が広まったのは戦後からで、伝統・格式がありながらモダンな装いともいえます。
先ほど黒紋付は喪服として用いられることが多いと紹介しましたが、もちろん法事でしか着用できないということではありません。男性用の羽織袴であれば羽織紐と草履を替え、女性の場合は帯や小物をうまく合わせることで祝い事でも着用できます。
儀礼、儀式に家紋は必要
きものは紋のあるなしによって装いの格が変わり、
きものの着こなしも変わります。
第一礼装には慶弔いずれの場合も背の中央、両袖の後ろ、
両胸に家紋をつけた五つ紋のものを着ます。
準礼装は、背の中央と両袖の後ろに紋を付けた三つ紋となります。
略式なものは、背の中央だけにつけた一つ紋で、色無地や格調のある訪問着に用います。
家紋の意味、歴史
紋には、雪や波といった自然、美しい草花、鹿や鶴などの動物、
そして扇や鼓といった器物に至るまで
私たちの生活の身近なものが、シンプルで美しい形にデザインされています。
紋は、付ける位置ごとに意味があります。
背の紋は、ご先祖様を表しています。
いつ頃から始まったのか諸説あるのですが、平安時代の末期に、
貴族たちが目印として牛車や家具調度などにつけたりするうちに、
家や職業が世襲的になるにつれ、家紋として生まれたと言われています。
代表的な家紋
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梅鉢うめばち
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上り藤あがりふじ
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違い柏ちがいかしわ
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笹竜胆ささりんどう
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蔓柏つるがしわ
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九枚笹くまいざさ
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抱柏だきかしわ
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橘たちばな
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三ツ柏みつかしわ
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剣片喰けんかたばみ
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蔦つる
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沢潟おもだか
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鳳凰の丸ほうおうのまる
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対い浪むかいなみ
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五三桐ごさんのきり
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違い鷹の羽ちがいたかのは
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井桁いげた
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右三ツ巴みぎみつどもえ
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丸に二つ引まるにふたつびき
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根笹ねざさ
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立葵たちあおい
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桜さくら
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違い矢ちがいや
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源氏車げんじぐるま
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武田菱たけだびし
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桔梗ききょう
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角立四つ目すみだてよつみ
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雁金かりがね
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右三階松みぎさんかいまつ
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梶の葉かじのは
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木瓜もっこう
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五本骨扇ごほんほねおおぎ
人生の儀礼についてRITUALS OF LIFE
人生の節目となる「ハレの日」に感謝の気持ちを伝え、
代々の繁栄を願う
人生の節目となる「ハレの日」に感謝の気持ちを伝え、代々の繁栄を願う
日本は古来より農耕を主たる生業とし、四季のある豊かな自然に恵まれていたことから季節(時)の移り変わりを大切にしてきました。
米が実る秋に祭・行事が多いこともそのことを表しています。
また、私たち日本人の暮らしや人としての成り立ちで重要な位置を占める「礼」は、
もとは中国から伝わり、日本の風土・風習に合わせて独自にかたちづくられてきました。
その大きな特徴となっているのは、節目となる時を「ハレの日」として、さまざまな通過儀礼を設けていることです。
そこには恵みをもたらす自然への感謝と暮らしの安泰の願いが込められています。
初参り、七五三、成人式など現代に生きる私たちにも馴染み深いセレモニーも、
それぞれの成長を祝い、代々の繁栄を願うと共に、家族・親戚の関係を円滑にする役目も果たしているのです。
このような大切なセレモニーにおいて黒紋付を着ることで、厳かな気持ちになり、日本人であることの誇りと歓びを実感することができます。
初参り
初参りとは、赤ちゃんが無事に生誕1か月目を迎えたことを産土神に感謝して報告する行事です。
産土(うぶすな)の神に村の一員となったことを報告するための儀式が始まりです。
通常、単に宮参り(お宮参り)というと初参りのことを指します。
日本には赤ちゃんの誕生と健やかな成長を願って、両親と父方の祖母が付き添って神社にお宮参りをする風習があります。
現代では父方の祖母だけでなく、母方の祖母が付き添うことも多くなっています。
一般的に出産から男の子は生後31日や32日、女の子は32日や33日に行われるようですが各地域で様々であります。
最近では主に生後1か月頃に行われていることが多いようです。
京都においては、女の子が早くお嫁に行けるようにと、男の子よりも早い時期にお宮参りを済ませる風習があります。
初参り(お宮参り)のきもの
男児は黒羽二重の熨斗目模様の五つ紋付、女児は綸子や縮緬地の絵羽模様のものがよいとされています。
幅の広い紐にお守りや狛犬をつけて、おばあさまの肩にかけ、後ろでむすびます。
七五三
七五三(しちごさん)とは、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事です。
男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる行事です。
(神社庁より)。本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多く、地方によっては男の子の3歳を行わない所もあるようです。
現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗でした。
七五三のきもの
七歳の女子は華やかな京友禅などの振袖のような着物をきます。帯は金襴の祝い帯が一般的です。
五歳の男子は色綸子や熨斗目も酔うの紋付の着物に羽織、袴。三歳の女子は京友禅や絞りなどの子供用の着物が可愛らしく、被布を羽織ります。
十三参り
十三参り(じゅうさんまいり)は、旧暦の3月13日(現在では月遅れで新暦の4月13日)の間、男女とも数え年13歳の身祝いで、子供の多福、開運を祈って、古くから各地でさまざまな形で行なわれます。
京都では嵐山の法輪寺で虚空蔵菩薩(大きな空の神様)から大人の知恵を授かるためにお参りします。
十二支を一廻りしたことの証として、13のお菓子をお供えし、おさがりを持ち帰り共にいただいたそうです。
関西では七五三よりも、こちらの方が盛んで、中でも、京都嵐山の法輪寺・大阪の太平寺 (大阪市)・奈良の弘仁寺が有名です。
関東では村松山虚空蔵堂がある茨城県那珂郡東海村を含む茨城県北部地域で盛んなくらいであったが、最近では他の地域でも徐々に盛んになりつつあり、浅草寺では3~5月にかけて上記と同様の参拝客が目に付くようになりました。
十三参りのきもの
女子が初めて本裁ちの振袖を肩上げをして着ます。帯は大人ものの袋帯。母親は訪問着、色紋付、江戸小紋など。
子供の晴れ着と調和させて選びましょう。
成人式
日本の宮廷や貴族のあいだでは、古くから男子が大人の仲間入りをする「元服」が行われていました。
13歳から15歳くらいになると、少年の髪型を成人の髪型に変え、冠をかぶり、成人の服装をしました。
女子は、垂らしていた前髪を結い上げて髪上げをし、裳(う)を着たり、時代によってはお歯黒をしたりして大人の仲間入りをしました。
現在では成人式の対象となる成人は、前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」までに誕生日を迎える人を祝う日となっています。しかし、最近(特にハッピーマンデー制度導入以降)は前年の4月2日からその年の4月1日に成人する人を式典参加の対象にする、いわゆる学齢方式が定着するようになっています。
成人式のきもの
成人式の晴れの装いは、女性は振袖に袋帯です。
様々な色柄の振袖があり、帯とのコーディネートも華やかなものからシックなものまで個性に合わせて装います。
基本的には吉祥柄と呼ばれる縁起のよい柄のきものと帯を合わせます。男子の紋付羽織袴は、落ち着いた大人のイメージで悠然と着こなしたいものです。
結婚式
結婚式(けっこんしき)は、婚姻を成立させるため、もしくは確認するための儀式です。
地域により様々な様式がありますが、どの地域でも喜びの儀式であります。
一般に、結婚式の後に結婚披露宴を行うケースでは、結婚式それ自体は比較的少人数でとりおこなわれ、結婚披露宴は親族一同や知人まで含めて数十人~数百人と参加者の人数が膨らむことが多いようです。
かつては当人同士よりはむしろ、家と家の結びつきに重きが置かれていました。
そのため、当人同士はもちろん、両家が子々孫々まで絶えることのないようにという願いが結婚には込められていました。
現在のような神前結婚式が行われるようになったのは明治時代になってからのことです。
結婚式のきもの
新郎新婦の母親、仲人夫人は五つ紋の黒留袖を着ます。ミセスは色留袖や訪問着、ミスは振袖や訪問着、付下げを着て華やかに装うのが一般的です。
葬儀
葬儀とは、死者を弔うための儀式で、故人との別れの儀式である告別式とは別のものでした。
最近では、同義に使われることが多くなっています。
葬儀では、僧侶が中心となり、お経を読み、焼香して故人が成仏しあの世に行けるように祈ります。
この儀式には原則として喪主をはじめ、遺族や親族など近親者と、生前、故人が特に親しかった人だけが参列し、一般の参葬者は告別式に参列します。
葬儀の様式にはそれを行う人たちの死生観、宗教観が深く関っており、宗教の違いがそのまま葬式の様式の違いになります。
また葬儀は故人のためだけでなく、残されたもののために行われるという意味合いも強くあります。
残された人々が人の死をいかに心の中で受け止め、位置付け、そして処理するか、これを行うための援助となる儀式が葬儀です。
葬儀のきもの
喪服は黒の五つ紋を着用します。帯揚げ、帯締め、草履は黒を用います。男性は黒の五つ紋の羽織、袴を着ます。
きもの供養
天女グループでは皆様にかわりお手持ちの御着物の『きもの供養』を行わせて頂いております。
きもの供養は、「呉服(五福)の日」にちなみ、毎年5月29日に笠原寺で開催されます。
きもの供養をすると、五福の縁の「お札」がいただけます。
きもの供養事務局
天女グループ 会員代表代理
株式会社 フジマサ きもの供養係
〒600-8474 京都市下京区西洞院通仏光寺上る綾西洞院町743
TEL.075-352-7678
京都 笠原寺の境内にある“きもの塚”の石碑。
きものを愛でられるみなさまのために、厄除開運祈願をされた記念碑です。
笠原寺の開山主が尼僧であったことから、各地から訪れてくる悩みを持つ女性達の相談を受け、生きる力を説いているうちに、日増しに多くなる悩める人々を、一堂に集めて話し相をしておられといいます。
それが今、笠原寺での、特別行事としてなされている一日尼僧修行のはじまりとされています。
そのような縁からでしょうか。
きものを愛する人が、同じような思いを持つ人々の厄除開運を願って、「きもの塚」が奉納されました。
黒紋付以外の商品のお取扱いについて
- 全国の小売店様と協力して、新しい「着物スタイル」のご提案をさせていただいております
- 弊社ではほぼ全てのメーカー、どんなブランドの商品であってもお取り扱いできます。
「訪問着」や「お母様のお着物を私が着れるようにしたい」どんなご相談でもお気軽にお問い合わせください。
会社概要COMPANY
- 社名
- 株式会社 フジマサ
- 所在地
- 京都市下京区西洞院通仏光寺上る綾西洞院町743
- 電話
- TEL:075-352-7678 / FAX:075-352-8181
- 代表者
- 代表取締役 藤村和弘
- 業務内容
- ブラックフォーマル(和装)の企画製造販売
- 関連会社
- 株式会社 京正商店
- 所在地
- 京都市下京区西洞院通仏光寺上る綾西洞院町743
- 電話
- TEL:075-343-0381 / FAX:075-361-0059
- 業務内容
- ビル運営管理 ブローディアシリーズ ウェストパークビル 他
Access
History
慶應年間 | 鍵善創業 |
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明治元年 | 鍵直創業 (鍵善より暖簾を分ける。) |
明治十六年 | 鍵常創業 (鍵直より暖簾を分ける。) |
大正十三年 | 北村清一郎商店創業 (鍵常より暖簾を分ける。) |
昭和二十九年 | 藤村正和(現京正商店会長)丹後より上京 |
昭和三十二年 | 北清株式会社に社名変更 |
昭和四十四年 | 京正商店創業 (北清(株)より暖簾を分ける。) |
昭和四十九年 | 株式会社京正商店設立 藤村正和代表取締役就任 |
昭和五十年 | 「天女織色彩御色紋付地プロジェクト」スタート |
昭和六十年 | 株式会社 フジマサ 卸問屋として創業 |
平成三年 | 「利休黒プロジェクト」スタート |
平成十一年 | 「すてきな紋プロジェクト」スタート |
平成十二年 | 株式会社フジマサ和装卸業務スタート |
平成二十三年 | 藤村和弘代表取締役就任「鍵玄プロジェクト」スタート |
平成二十四年 | 「鍵玄」ブランド誕生 |
平成二十九年 | 京正商店呉服事業部をフジマサへ集約 京正商店は不動産管理部として独立、呉服事業部をフジマサへ集約 |